こんにちは、翔やんです。
こちらと似た内容をYouTubeにて動画アップしております。
今回少し気になったニュースを発見したので、それを元に発信します。
という記事をネットで見かけました。
こんなイベントがあるとは存じ上げておりませんでした・・。
要は「動物は食べる為に生きているのではない!肉食べるのをやめよう!」という訴えみたいです。
屠殺場で行う事を非人道的と捉え、肉を食べるという事がいかに残酷であるのかを主張されています。
生命の尊さに関しては、わたしにも理解出来ます。
というのも、わたし自身が屠殺場に勤めた事があり、日々目の前で命が絶たれる場所にいました。
だからこそ、わたしの視点での意見を述べたいと思います。
屠殺場とは?
そもそも屠殺場とは、農家(牧場)が育てた牛や豚が運び込まれ、それを屠殺解体する場所です。
解体後、競り(セリ)が行われ、各業者が購買するところまで一貫しています。
屠殺場で牛を解体する作業の流れについては別記事にしていますので、興味ある方はご参考ください。
屠殺場に関する記事
屠殺場が無くなればどうなる?
屠殺場を無くす!と主張したいのはわかるのですが、屠殺場が無くなればどういう事態が起きるのか想定し、それに対処する上でデモ活動をされているのでしょうか。
屠殺場が無くなると
・お肉に関わる産業全てが撤廃
・お肉を取り扱う企業が倒産
・みんながお肉を食べられなくなる
・育てる事が出来なくなった牛・豚の管理
という事態が生じます。
屠殺場を無くしてしまう事で、たくさんの企業や会社が倒産し、たくさんの人が仕事を失います。
その仕事を失った人達はどうすれば?お肉を取り扱う会社や企業って凄くたくさんあるんです。
フードサービスの企業、精肉店、焼き肉店、飲食店、スーパーなど様々です。
それらを失った大勢の人々はこの先どうすれば?
さらには、屠殺場がなくなる事で、育てる事が出来なくなった数十万の牛や豚はどうなるのでしょうか?
保護して育てますか?その資金は?
当然、農家の方も生活がかかっていますので、お金だけかけて育てて終わるという事なんてしないと思うんですね。
仮に、野に返す行いをすれば結果は見えてませんか?行き場を失った牛や豚たちが人口密集地に現れると、当然保護されますよね?
保護された牛や豚はどうなりますか?
保健所などでまた殺処分されますか?
これらの起きうる事態に対する保証をしっかりするなど、考慮した上でデモを行われているのでしょうか。
それだけこのデモ活動には、相当な責任と覚悟が必要なはずです。
明日からお肉を食べれなくなったら
明日から突然お肉を食べれなくなり、その期間がしばらく続くと仮定します。
すると今度は、逆に反対のデモが起きるのではないでしょうか?
お肉を食べたい人ってたくさんいるんです。
屠殺場がなくなる事で混乱を招く可能性があります。
人類からお肉を排除するのは不可能
人類からお肉を排除するのは不可能といえます。
歴史からもわかる通り、人類はお肉を食べ続けて生存してきています。
その我々人類からお肉を食べる習慣を無くすのは、到底無理は話なんですね。
歴史を振り返ってみると、今までの時代の中で「動物を殺して食べてはいけない」というルールが定められていた時代もありました。
一国の主のお偉いさんが発令したにも関わらず、裏ではたくさんの屠殺が実行され、食肉として流通していました。
幾度かの法律の制定がありましたが、やはり抑える事は出来ていません。
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歴史を振り返ると、誰の許可も得ずに、自分たちだけで勝手に屠殺を行い、食していた人達がいた事になります。
現代では、このような状況が生まれていたとしたら許されないですよね?
ですので、国が定めた場所の屠殺場を用い、国が定めた法律の元で屠殺を行っているのです。
これは闇雲に無益な殺生を行う事の抑止力にもなっています。
この事から、屠殺場を無くしてしまうのではなく、これから屠殺という事に対してどう向き合っていくか、またその中で生存する牛や豚の為に何が出来るのか。
これを考えていくほうが重要ではないでしょうか?
牛や豚も全て命は平等

屠殺場には牛や豚を供養する日が毎年あります。
住職の方をお呼びし、感謝の意を込めて奉賛会が行われます。
しかし、ネットにはイメージを払拭するような行為が行われています。
例えば、ネット上に牛や豚のグロテスクな写真や映像を公開して
「こんなの許せますか?」
という投げかけをしています。
そりゃ、そんなグロテスクな写真や映像みたら、良い気分にはなれないでしょう。
国はそういう状況を隠している、と主張されてますがそりゃそうです。
それを公開したところで誰の為になるんでしょうか?逆に不快感を与えることをわざわざ公表したりしませんよね?
命は平等です。魚も捕まえて殺して食べてますよね?
極論を言えば植物だって生命です。学校でそう習ってきましたよね。
ではなぜ、牛と豚だけイメージ強く持たれているのか。
単純に個体差ではないでしょうか?
牛や豚は個体が大きい為、解体時の影響が強い訳です。
でもそれだけなんですよね。魚もやっている事は同じなんです。
ただ、個体の大きい牛や豚は解体処理(皮を剥いだり)が大変である為、他に比べてそう見えるだけなんです。
牛・豚の人類への貢献

ここまで、お肉を食べる事についてお話させて頂きました。
しかし、牛や豚のお肉以外にも人類へたくさん貢献しているのも事実なんです。
例えば、牛の場合だと「牛革」。
カバンなどファッションに使用されており、日々の生活に関わっています。
他にも「牛角」は、印鑑やハンコの素材に使用されています。
そして「牛脂」。
これは化粧品やクリーム、乳液に石けんなどに主に使用されています。
豚に関しては、内臓の構成が人類に近いと医学界から注目されています。
ですので、医学の発展の為に研究用の「検体」として内臓の取引が行われたりもしています。
牛であれば、「牛歯」も研究に使用され、最近では内臓や内容物の研究も行われています。
医学の発展に貢献してくれている訳です。
屠殺場を無くすという事は、肉を辞めるだけではなく、私生活に関する様々な要因も影響してきます。
元屠殺経験者のわたし個人の想い
「動物に感謝しても、動物は知ったこっちゃない」
この言葉は胸にささりました。
実際に屠殺場で勤めた経験があるからこそ、どういった仕事なのかは人一倍理解しているつもりです。
わたしはプライベートでも、屠殺場で働いていた事を常にオープンに生きてきました。
しかし、そこには差別や偏見という言葉はありませんでした。だいたいの人は少し興味を持たれます。たまに
「そういう人達がいないと、お肉食べれないからありがとう」
と感謝された事もあります。
わたしは、たまたまそういった人達に恵まれて、幸運なだけだったかもしれませんが。
しかし、やっている事は生命を絶つ仕事ですので、デモが起きてしまうような反感もある事も理解しています。
だからといって屠殺場が無くなっても良いとは思いません。
これからもあるべきです。お肉を食べるたくさんの人達がいます。
正直、数多の種類の生命を奪って生きている中で、牛や豚などといった肉類だけをやめよう!なんて身勝手な話です。
お肉を食べる行為を辞める、というのは全然ありだと思います。その想いを持った個人の素晴らしい生き方だと思います。
しかし、それはその人の価値観であって誰しもがそうでない事だと、わたしは思います。
屠殺場がなくなる事で、どれたけの人間に不幸をもたらすのか、牛や豚の行き場、またその先に起こりうる事態を考えると、閉鎖すべきではないと結論いたします。
今出来る事と言えば、屠殺されている牛や豚たちの為にも、食べる事が何よりの恩返しなのではないでしょうか?
まとめ
個人的な意見を述べさせていただきましたが、いかがでしょうか?
普段、こんなに真面目な記事を書く事は稀なのですが・・。
特にわたしはグルメでお肉が好きなので、この先お肉を辞めるという事はないでしょう。
それよりも、どうやったら美味しく食べれるのか、美味しいお肉を提供しているお店を探したり見つけたりしていきます。
最後までお読み頂きありがとうございました。by翔やん
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