実は縄文時代から親しみがあった「食肉」の歴史

お肉って一体いつから食べるようになったのか・・?

ふと疑問に思ったのでさかのぼってみるとなんと遥か昔から関係していました。

お肉の調理の始まりは縄文時代

およそ1万年前の日本で言う縄文時代。

実はこの時代の食文化はバラエティ豊富と言われていました。

この頃から人類は火を使いだしたので、お肉等を土器を用いて焼いたり煮込んだりし始めました。

「もうこの頃から原理は変わらんくね?」

って思ったよね、うん。

この頃は、シカやイノシシを狩猟して食べていたという事。

お肉と一緒に内臓(ホルモン)もこの頃から食べていたのです。

まさに「モンスターハンター」の世界観。

更にはドングリや木の実を食べ、魚も食べていたという事。

栄養バランスがよく、人間の長生きの秘訣となっていたのだろうか。

弥生時代でお肉に対する習慣は薄れる

1世紀後半~3世紀前半

弥生といえば卑弥呼を思いだしますね。

実際のところは卑弥呼は男か女か定かではないのが事実と言われていますね。

この頃、豚やニワトリなど食用で飼っていた事がありました。

けど、日本は海に囲まれていて豊富な魚介類にとても恵まれていた為、あまりお肉を食べる文化が定着せずに薄れていきました。

日本人が刺身を食べる文化があるのもこの時代の長さが関係しているのだろうか。

仏教がタブーした古墳時代

3世紀後半~6世紀初頭

古墳といえばあのおっっきいお墓の事を思い出しますよね。

この頃から住居に「かまど」が設置されだし調理技術などが発達し、お肉料理のバリエーションが増えだします。

と、同時に動物の内臓(ホルモン)を食べる習慣が途絶えます。

この段階で”ほるもん”と認識されたのでしょうか。

そして、大陸での交流が盛んになり538年に仏教が伝わり広まります。

仏教には、殺生禁断という教えがあって

「生き物を殺生すると罰が当たる」

とされていました。

これが広まることにより、人間を含む動物全てに対する殺生が「良くない事」だと認識されるようになりました

これ仏教が日本人に広まってなかったら他の生き物殺しまくってたんじゃないかと考えると恐ろしいですね。

そして676年に、天武天皇の詔勅(しょうちょく)で、牛、馬、サル、ニワトリの肉を食べることを禁じ、魚にも罠をしかけたり、もりで突く事も禁じたという事です。

影響されすぎ?というかきつくない?

現代で考えると明日から肉食うなってなるんですもんね。

でも本当に周りの生命に日々助けられているという事が感じられますよね。

それでも肉を食う人がいた大和時代

593~710年

それでもお肉を食べる習慣は消えませんでした。

やはりずっと昔から食べている人は山野へ猟に出かけて、鳥獣の肉を楽しむ風習が続いていたという事。

これを「薬猟」と称していたみたいです。

やっぱり食う人は食うんです。

一番好きな食べ物を禁じられたら我慢できるかな・・・

武力がものをいう武家政権、飛鳥・平安時代~鎌倉時代

710~1399年

たくましい生活力と軍事力を武器にした武士たちの登場により戒律などが関係なくなります。

禁断の果実である獣肉に対しても、狩りによって得た獣肉を食膳で楽しむなど、決まり事とは無縁でした。

武をもって好き放題って感じでわかりやすいですね。

お肉よりも魚が良かった室町時代

1399~1573年

この頃から、醤油や味噌などが始まり現代の和食に繋がる食生活の文化が普及しはじめました。

魚や鳥類のお肉が上品な物として、それ以外のお肉は下級なものと捉えられるようになったとの事。

確かに現代でも高級お寿司とか雰囲気あるし言われてみれば・・。

この時代の京都なのではお肉を使わずに現代に繋がる「日本料理」が発達します。

またもや不殺(ころさず)を発令したのは豊臣秀吉の安土桃山時代

1573~1600年

織田信長の「長篠の戦い」でも有名になった鉄砲が伝来し、「南蛮文化」などを取り入れていった時代。

なんとこの頃までは、朝夕の1日2食だったのが1日3食になるという、食生活にして革命的な事が起こったのもこの時と言われています。

南蛮人との交易が行われ、キリスト教が普及したのもこの時代ですよね。

このキリスト教により、今まで生命の殺生を禁じられていた仏教から解き放たれる庶民たちが動き出し、

牛肉や豚肉が食用として受け入れられるようになりました。

だが、しかし!

その時、歴史が動いた

天下の豊臣秀吉が動きました

秀吉は、伴天連追放令というのを発令しキリスト教を禁じました。

これにより「牛馬をと畜して食用に供する事を禁ずる」としました。

秀吉がどういう心境だったのかわはわかりませんが、天下を収めた人間だからこそ殺生する事に何かを見出していたのでしょうか。

五代将軍綱吉の「生類憐れみの令」の江戸時代、そして近江牛の登場

1600~1867年

江戸時代は、三代将軍家光によって「鎖国令が発せられ鎖国の時代に突入します。

江戸幕府が出来たことで牛馬のと畜禁止令は江戸幕府の法律になります。

そこで五代将軍綱吉は、犬をはじめとする動物を徹底的に保護する「生類憐れみの令」を発令します。

とにかく犬が好きだったんでしょう綱吉さんは。

が、しかしこれが発令したにも関わらず、近江の彦根藩では牛のと畜が黙認され牛肉の味噌漬けや干し肉などにして「薬喰い」が考案されていました。

この頃の近江では医者が「肉食わないから体弱いんだよ」的な発言をしていて、

発令とか無視しながらもう「そんなの関係ねぇ」状態で公然と牛のと畜も行われ生産されていました。

でもこれらのおかげで近江のお肉は名産品となり幕府や将軍家などに貢ぎ物として献上されていました。

この頃からの働きのおかげで現代の「近江牛」に繋がっているのです

感動でしょう?

牛肉をがっつきだした明治時代、神戸ビーフも

1868~1890年

明治2年(1869年)に海軍が牛肉を栄養食として採用しました。

同じ年に明治天皇が初めて牛肉を食べると大絶賛!

ここから牛肉が一気に普及し人気を集めます。

この頃から「牛鍋」のブームが巻き起こります。

ここで皆さんお馴染みの「福沢諭吉」さんが登場します。

一万円のあの人ですね。

福沢さんは幕末の頃から

「牛肉は身体に良い、牛肉はこの後誰でも食べるようになる」

とうたっておりました。

彼の言う通り、牛肉は普及し栄養価もある事も証明されています。

福沢さんは学問だけじゃなくこういった「食」に関しても精通していて未来をよむ力があったのですね。

そしてこの時代に急遽現れた、ペリー来航ですね。

黒船が浦賀に到来してから横浜に滞在するようになった外国人へ牛肉調達をすることになりました。

近畿や中国地方の牛が神戸へ集められて肥育されこれらが

現代の「神戸ビーフ」へ繋がります。

この時期からも神戸ビーフに対しての評判は格別だったという事です。

さらに日本三大洋食が登場した明治時代

1890~1912年

安価な豚肉を材料と日本に三大洋食となるものが普及しました。

「カレーライス、コロッケ、トンカツ

の登場です。

全部重いわっ

さらに、ここで一気に食肉料理が普及し始めます。

牛丼、すき焼きなどが普及します。

さらには、ハムやソーセージの加工技術などが発達し食肉業界も大きく成長します。

この頃からハムやソーセージあるって驚きですよね。

牛丼もこの頃から流行していたので吉野家もびっくりです。

食生活か欧米化(おうべいかっ)する大正時代

1912~1940年頃まで

この頃からどんどん欧米などの食文化を取り入れていき家庭にも洋食がでだします。

戦争によりお肉の出回りがなくなる昭和時代、だが国産始まる

1940~1970年

昭和16年に太平洋戦争が勃発し、肉牛の出回りが悪化して食肉の普及は一機に後退します

敗戦直後にはお肉を手に入れるのも難しくなり、そもそも食うこと自体が厳しくなります。

そして昭和30年以降

アメリカの食文化を積極的に取り入れていき、お肉の消費量も一気に拡大します。

ここで国内でも「国産」が普及しはじめ、小売り店などから自由に買えるようになります。

ここからいわゆる「高度経済成長期」へと突入しますね。

ここから食肉は大衆化していき国内の消費量が拡大していきます。

輸入肉を使いだすのもこの頃からと言われています。

そして現代へと繋がるのです。

学校の授業とかで習う「日本の歴史」がありますが、

そこには食文化もあり「食肉」とはずっとともに歴史を歩んできていたのが驚きですよね。

明日からまた違った視点でお肉に携わりそうです。

 

お読みいただきありがとうございました。by翔やん

 

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